徒然な日々・零式

クラシックの演奏会を中心にあれこれと書いていきます。

サントリーホール サマーフェスティバル 2019 ~サントリー芸術財団50周年記念~(8/24)

大野和士がひらく大野セレクションの室内楽

演奏者についてはこちらのリンクをご覧下さいませ。

マグヌス・リンドベルイ:『オットーニ』 金管アンサンブルのための (2005)[日本初演

リンドベルイの作品を聴いたのは2008年のN響だったかな。色々とあった演奏会だったけれど、あの日の私の目的は「幻影とマントラ(西村朗)」で、そして最後の「エコー・モンタージュ原田敬子)」で魂をどっかに持ってかれてしまったので、どんな曲だったのかを思い出すことができない。でもおそらくは、それほど「変な」曲ではなかったと思う。なぜなら、今宵のこの曲は私にはごくごく平易・・・とまでは言わずとも、楽譜を買って演奏したいと思うアマチュアがいてもおかしくないような感じ。

マーク゠アンソニー・ターネジ:『デュエッティ・ダモーレ』 ヴァイオリンとチェロのための (2015)

ターネジという作曲家について、大野さんが「音符で表現する」と紹介したことがあり、それ以来何回か彼の作品を聴く機会があったけれど、ほんとその通りだよなぁと感じる。もちろん、ゲンオン特有の「変わった楽器の使い方」をする曲も書いているのかも知れないけれどさ。

しかしながら、私はゲンオンを聴くとき、基本、その曲がどのような曲かは意識しない。様々な技法によって奏でられる音楽は、言霊となって私を包むからだ。だから開演前にプログラムノートはあまり読まないんだけどね、時間もあったしさ、読みまして、ははぁ、そういう流れの組曲的なものかと理解して聴き始めたけれど・・・。

ちょいと意識がぶっ飛んでしまった。思うに、ソリスト二人の「音」が心地よかったせいではないかと弁明。

ヴォルフガング・リーム:『ビルトニス:アナクレオンテノール、ピアノ、ハープ、クラリネット、チェロのための(2004)

プログラムに私でもわかるドイツ語の対訳が掲載されていたので、それを読みながら聴いてみた。まずは私の「永遠のタミーノ」である吉田氏の変わらぬ美声に酔いしれたことを記したい。思えば初台で大野さんの「魔笛」を聴いたときの王子は吉田氏だったわ~。(ついでながら弁者は多田羅さんだった。)あの頃の輝きはいまや貫禄となりましたが、素晴らしかった。

そして、このテクストを見事に音楽になしたリームに感嘆すると共に、そうなればアナクレオンについて、メーリケについて勉強したくなり、ただいま英語と格闘中でございます。

細川俊夫:『悲しみの河』 リコーダーと弦楽アンサンブルのための (2016)[日本初演

いかにも細川氏らしい作品だったけれど、不遜にも尺八でもいいのでは?なとと考え、何を言っておるのだ、この曲はリコーダー奏者に献呈されているのだぞと自分を叱り、そして、2011年以来細川氏がその作品の中で発信し続けているものと、私自身が封印してしまったものとの対比が、頭の中でグルグルと回り続けた。これだけは決して答えが出ないものであり、文章化することも封じたので、これ以上は書かない。

サルヴァトーレ・シャリーノ:『ジェズアルド・センツァ・パローレ』 アンサンブルのための(2013)[日本初演

シャリーノ、シャリーノ・・・どこかで頭の中で引っかかったままで過去帳を調べたら、あった! あの素晴らしき誕生日が。

まぁそんなことはどうでもよくて、いい意味悪い意味両方で、いささか拍子抜けしたかも知れない。マドリガーレの編曲であるのだけれど、プログラムにもあったが、ヒジョーに「真っ当な」編曲なのだ。もちろんそれなりに変化はしていくのだが、編成も面白かったから、それこそ「ちょいとCLAコンでやれそうかも」と考えてしまいそうな。

(CLAコンとは、かつてパソ通で集っていた仲間たちで開いていた、内輪のコンサートのことです。)

実に楽しい演奏会だった。ゲンオンの演奏を好まない演奏家はたくさんおり、嫌々ながらに演奏してるなと感じる演奏会も経験しているが、今宵はそんなこともなく、皆様、曲を理解して楽しんで演奏しておられたと思う。

さて。いよいよ来週は「リトゥン・オン・スキン」。

サントリーホール ブルーローズ 1列18番)