徒然な日々・零式

クラシックの演奏会を中心にあれこれと書いていきます。

Der Grundlegend von Arbeit

「仕事の基本」・・・と書いたつもりだが…。定冠詞と前置詞が危うい。

昨日は棚卸し。以前担当していたカテゴリーなので、作業しながら売場の見学というか、売場の現状を観察。

ごめん、はっきり言って酷い。フェイスは乱れまくりだし、欠品だらけ。これでは数字はあがらん。

それで今担当している昔なじみの同僚にそれを話したら、反論をまくしたてられた。

その内容は大きくわけて二つ。

「自分だけが頑張っても時間が足りない。でも他の人が協力してくれない。」
「頭が変わったので貴女(私のことです)の時代とは、やり方が全然違う。だから貴女が言うようになんてできない。」

ではそれについて検証しよう。

まず一番目だが、それは現行社保の仕組みの弊害である。一定レベルの事業者にあっては、年収で106万円以上のパートは、社保(いわゆる三点セット)に加入させなくてはならない。当職場本体はかなりの規模なので、それに該当。でも当初は「年収106万で納めればよい」はずだったのだが、制度が変わり「月8万8千円を3ヶ月超えたら社保対象と見なし、追徴徴収する」となった。

東京の最低賃金は958円。月に89時間しか働けず、つまり18日・・・せめて雇用保険だけは入りたいと思えばだが。

法的要件で長時間働くことができないのであれば、選択肢は二つ。三六協定はあるにせよ、ある程度の残業ができる三点セットパートにしてもらうか、それともすべての社保適用外かつ賞与適用外のパートにしてもらうこと。

そして、それを踏まえて、今のどれだけこなしきれない作業があるのかを、上長に相談して待遇の改善(もしくは担当替え)を申し出ればよい。

「誰それさんは~何もしてくれません~」なんて言うのは愚の骨頂ですぜ。

では二番目。私の職場でそのカテゴリーの初代頭をしていた社員は、とにかくよく働く人だった。働き過ぎて、問題もあったのだが、パートのフォローは必ずしてくれたし、指示も的確だった。しかしそんなことは過去のものとして、頭が私に残した最大の置き土産が「仕事の基本」「服飾のいろはのい」。

例え元締めが変わろうとも、そしてそいつが服飾について何も知らなくとも、基本は変わらないのであり、それに基づいた仕事のやり方を続けている限り、あんなに酷い売場にはならないはずだ。

私は今、全く違うカテゴリーを担当しているのだが、大枠で3人でチームを組んでいる。3人の中では一番のとーしろーが私で、ときどきカチンとすることを言われることもあるが、よくよく考えると、言われた通りにやって良かったと思うこと多々。

この一年ほど、私的に色々とあり、その心労もあって、仕事を辞めようかと思ったことは数知れず。でもその都度、チームに助けられてきた。つい先日もラインで愚痴りながら「も少し頑張るかな」と改めて思ったりして。

話はそれてしまったが、「基本中の基本」を忘れずに作業をしていれば、それをフォローすることは誰にでもできる。

それがわかんないかな。