徒然な日々・零式

クラシックの演奏会を中心にあれこれと書いていきます。

オペラ夏の祭典 2019-20 「トゥーランドット」(7/12)

最初に。以下演出等のネタバレありますので、ご留意の上お読み下さいませ。



指揮:大野和士 その他詳細はこちら。(キャストは赤丸。)

字幕が英語と日本語の二本立て。どうも英訳の方が原語に忠実だったようだが、実はこの作品を字幕付きで聴いたのは初めてのことであり、最初は二つの字幕を追いながら「そうか、英語ではこういう表現になるのか、英語のお勉強もできるよ~」などと脳天気なことを考えていたら、だんだんと混乱してきた。意訳とは思えない文章がどんどん出てくるのだ。しかし私はそれを論ずるほどの作品知識も語学力もないので、別の日に聴きに行く知人の感想をまとう。

大野さんは演出家を「壮大な舞台を作ることにも、人間心理を描くことにも秀でている」と読売新聞の記事で話していたけれど、舞台はその後者に重きをおいた設えと感じた。所作はそれほと大げさではないし、舞台そのものもモノトーンで暗い。聴く者たちに自らの思索を要求するとまで言ったら言い過ぎか。

そして演出への評価が分かれるのはエンディングだろう。ハッピーエンドにはなり得ないと演出家自身が断言してはいたが、瞬間暗闇になった時、ををどうしたものかと戸惑ったのは私だけではないだろう。ほんとに一瞬ではあるがトスカニーニの初演で良かったとさえ思った。

しかし演出で物議を醸そうとも、作品は素晴らしいものであるし、歌い手はそれ以上のものあり。

なんと言ってもリューの中村氏。最初の “Il mio vecchio è caduto! ” でいきなりノックアウトされた。処刑前の混乱のさなか群衆が騒いでいる場面である(この群衆も見事だった。三澤さんのすごさよ!)。その中でティムールに慈悲を求める声だけが響き渡る。カーテンコールで大歓声を受けたのは中村氏でありました。

他も誰一人として「私的には違うかな」みたいなキャストもおらず、そりゃ大野のさんのオペラだからです・・・あの御方はその作品の最大の魅力を私に与えたもう御方なれば。

人物描写に関してはいささかのモヤモヤが残った。演出家の描くカラフは「権力」を求める男である。トゥーランドットを求めている「愛」ですらその中にある。私もそう思うわ。リューが自分の父にどれほど尽くしてくれたのかを知りながらも、奴隷の心には寄り添えないわけです。自分の命をかけて女を欲し、それがどれほど父親を悲しませるかなんて、知ったこっちゃない。

以下は私の勝手な解釈だけど、リューが自刃して倒れて、ティムールが嘆く。そこにカラフが近寄るけれど、ティムールはそれを払いのける。そのティムールの所作がカラフの権勢欲への嫌悪感を表しているような気がした。

・・・昔話の王子様ぅて得てしてそんな感じだよね。

トゥーランドットの心が次第に変化していく様と、ブリュンヒルデのそれの類似性の比較はよく言われるけれど、あたしゃ単純に思うのだ。

「内面の苦しみはあったにせよ、自分の意志を正義と思い、好き勝手にしてきたんだから、現実を直視することができないんだな。自分がどんだけのことをしちゃったか、或いはしてきたかを、誰かに指摘されるのが屈辱なんだろうな。」

ほんと私はへそ曲がりだな。

東京文化会館 2階 L3列6番)