徒然な日々・零式

クラシックの演奏会を中心にあれこれと書いていきます。

レシピエント

専門のクリニックに一年ぐらい通った。ドライアイが酷くなりヒアレインムコスタが処方された。

 

ムコスタ、点眼したことある人はわかるけど、点眼した瞬間に目の前が白くなります。人によっては喉に苦〜いものがおりてきます。先生の目には私が頼りなさそうに見えるらしいので、それについて何度も何度も説明してくれるのでした。

 

「どうですか〜?」「変わりないです〜。」が続いて、2019年の2月。先生から角膜移植を検討しないかと言われた。

 

⭐︎国内ドナーからの移植は2年ぐらい待つけれど保険適用となる

⭐︎移植できる年齢上限はない(100歳の人に移植をしたことがあるそうです)

⭐︎裸眼で生活できるほどにはならないけれど、普通の矯正が可能になる

 

説明の要旨はこんな感じだったかな。

 

海外ドナーであれば自費だから手術日程も決めることができるけれど、そんなお金持ちではないし、とりあえずは今の状態で生活できているのだから、国内移植の待機リストに登録してもらい、今後は先生が勤務している大学病院に通院することになった。

 

 

ローズK

コンタクトの名前です、これを使っているので書いただけで宣伝するわけではありません。

紹介状を書いてくれた眼科でも、主治医になった先生も、角膜を診断して「よく普通のコンタクトが乗ってたね」と驚いた。量販品のコンタクトはカーブも緩いから、いわば三角錐の上にお皿を乗せてるようなものだから、そりゃ不安定ですよね・・・確かにしばしばずれて泣いていた。


(ハードはずれると痛い。)

まず最初に言われたのは「高価ですよ」だった。コンタクトの購入は保険適用外ですからね。「○○コンタクト」で扱ってるコンタクトより一桁高かったけれど、矯正しなきゃ不便てか、日常生活ができないのだから買うしかありません。検眼してできあがるのに二週間ほどかかり、できあがったレンズのカーブは「お椀」でした。サイズも一回り大きくなりました。

かなりフィットするので、目尻を引っ張っても外れません・・・スポイトで外すことになりました・・・。

ところで。

「このブログ主はなせ視力値を書かないんだ?」と思ってる人がいるかも知れませんが、数値って重要な意味ないみたいで、検眼士さんも(視能訓練士が正しいのかも)その都度教えてくれませんね。資格試験で「裸眼もしくは矯正視力で」と記載されていても、実際にそれを確認する時には「これが見えますか?」をするわけで、視力値を自己申告するわけじゃないから。

・・・と何となく私は思っています。とりあえず矯正視力はかなり良くなりましたので、しばらく様子を見ましょうです。

さて、「円錐角膜」のハッシュタグをつけているわけですが、この病気は中年過ぎには進行が止まると言われています。でも治ったりはしないけど。その進行の過程で角膜浮腫→角膜混濁となる場合があり、私はどうやらそんな感じではないか?らしかったのです。

検査の結果

眼科ではお決まりの検査があるが、それがすべて終わって先生の診断は「とりあえず円錐角膜用のコンタクトを作るべきだと思うけれど、うちの検眼師だと時間がかかるから(そこまでの技術がないってことか?)、専門治療をしている別の病院を紹介します」だった。

 

紹介されたのは大学病院と都心のクリニック。どちらでも良かったけれど、クリニックの名前はよくネットで見ていて、円錐角膜の治療法の詳しい説明も載せていたのでクリニックに紹介状を書いてもらった。聖橋口の超有名眼科ではないです、念のため。大学病院は待たされるとも言われたしさ。

 

後々、そう言う「何となく」でその後が大きく変わるのだと実感することになるんだけどね。

 

紹介状を書いてもらい、クリニックに予約の電話をして、こんな感じで受診したいと話して日時を決めた。仕事が休みの水曜日。最初は院長先生が診てくれたのだが、問診のあと、本日は円錐角膜専門の医師がいる日なので、そちらに担当してもらうようにとのこと。

 

これこそが最大の幸運だった。水曜日の午前中だけ来ているその先生が今の主治医であり執刀医である。

 

しかしいきなり移植の話にはなりません。ひと通りの検査をした後「まずはコンタクトを作って矯正視力をあげて、それを装用しながら経過観察しましょう」となった。

第一歩

4年ほど前ぐらいかな、眼の調子がかなりよろしくないと感じるようになった。老眼も始まっていたし、夜目もだめ。一番困ったのは「とにかく眩しいこと」で、サングラスをかけていても外では俯いて歩くほど。加えて「白地に書かれた文字も見えづらい」。これに関しては別の症状名があるようだけれど、移植後は収まっているので、私の場合は円錐角膜とコンタクトによるものだったのだと思う。

 

(主治医もそのような診断をした。)

 

仕事で書類を読む、PCで作業をする、それらに支障をきたすようになり、眼科できちんとした診察を受けるべきだと思い始めた。主人が自由人になっていたので、家から車で少しのところにある眼科に行ってみることにした。

 

その眼科の評判は様々だったけれど、HPにオルソトロケラジーと記載されている眼科は近隣ではそこしかなかったから。私がその治療に適しているかどうかはわからないけれど、円錐角膜の診察はしてるだろうと考えたのだ。

 

 

 

 

不便な日々

円錐角膜と診断されて、ハードコンタクトで矯正し始めたのは本当に遥か昔のことで、あの時から今日に至るまでに、様々な治療ができるようになった。矯正視力で普通に生活できているとは言え、矯正とはあくまでも対症療法であり、円錐角膜が進行するのを抑えることはできないから、やっぱ最後は移植なんだろうか、でもそこにはどのようにし辿りつけるのかもわからない。 

 

オルソトロケラジーのニュースを読んだのはいつだったろうか。治療ではないけれど、日中裸眼でいられるってどんだけ素晴らしいんだろ。話だけでも聞きに行きたい・・・お金がなかった。貧乏ではなかったけど、余裕はなかった。

 

それにお金以前の問題があってさ。

 

「医者に一人で行くのは危険」。

 

眼科で診察を受ける時には、裸眼で来るように言われる。コンタクトはできれば一週間ぐらいは装用を中止するか、それが無理ならばせめて受診前日の夜からは外すことを求められる。まぁそりゃそうでありまして、でもコンタクトなしでは生活できない私がそうするには、誰かに付き添ってもらう必要があり、そりゃ主人でしょうが、仕事を休むことができない。

 

裸眼で道路を渡り、場合によっては電車に乗り、なんて危なくてできやしない。

 

かくして「見えてるからそれで良しとしよう」となり、コンタクト使用で生ずる不便さと共存するしかない日々がかなり長く続くのだった。

ハードコンタクト

信濃町では、なぜハードコンタクトで矯正できるのか、その説明はされなかった。くどいようだが、医者に詳しい説明を求めるのはまだ憚られる時代だったのだ。仕組みを知ったのはネットが使えるようになり、自力で調べた。

 

普通のハードで良いと言われて、処方箋も貰わずにコンタクト販売店で購入。何度か作り直したのだが、そのたびに検眼師から「角膜を傷つけるような大怪我をしたことはありますか?」と聞かれた。円錐角膜だからこの状態なのだと説明しても「入れても大丈夫ですか?」と心配された。

 

それでも視力矯正に携わる人は「酷い乱視みたいなものだから眼鏡は使えない」ことは理解してくれたけれど、普通の人は「コンタクトでしか見えない」なんてわかっちゃくれない。

 

他人の病気を理解することは難しいのだ。

(承前)円錐角膜

そうやって客を(コンタクトを作りに来てるから客だろう)脅しながら、ではどうすればよいのかすら教えてくれない医者は「あなたの視力は矯正できません」と私を拒絶した。眼鏡屋のバイト医師なんてその程度だったんだな。

 

しかしこちとら生きていかねばならんし、そのためには視力が必要である。大きな病院に行こうか。紹介状がなくても大学病院を受診できた頃だった。病院の情報など持ってなかったけど、眼科なら信濃町御茶ノ水だとは知っていたので、何となく信濃町に行ってみた。

 

待たされはしたが、門前払いもされずに診てくれて、角膜のデコボコは「円錐角膜」と言う病気で、ハードコンタクトで矯正するものだと言われた。

 

眼鏡屋のバイト医師を心の中で罵倒しましたよ。