徒然な日々・零式

クラシックの演奏会を中心にあれこれと書いていきます。

N響・夏のフレッシュコンサート ~音楽でふれあおう~(8/2)

(注:かなり批判的な内容となりますのでお気をつけ下さい。)



詳細はこちらです。

 

元々8月の第一日曜日は「ほっとコンサート」というファミリー向けの イベント的企画をしていて、それをコロナ自粛に合わせて縮小企画としてやったんであるけれど。

前日に川崎でN響の演奏を聴いてきた演奏会仲間から「弦の音の薄さ」が気になるとのラインをもらっていた。あの響きに包まれるような川崎でそうなのか。じゃぁ覚悟して行こう、それでも2階最前列だからだいじょうぶだろう・・・なんてこたぁなかった。10型ではあったんだけど、ホールが大きいせいなのか、それとも奏者の間隔のせいなのかわからない。

いやそれ以上に問題はあるんだな。

ここは自分たちのホームグランドでしょ?放送オケだから7月に無観客でラジオ放送演奏をしたけれど、とにかくここにお客様を迎えて演奏するのは5ヶ月ぶりじゃないんですか?嬉しくないの?

終演後の団員さんのツイートとかには、嬉しさも溢れていたけれど、ステージの上にいるその姿からは何も伝わらなかった・・・まぁそれが仕事ってもんなんですけれどね。

(私はアマチュア、ことに合唱コンクールなどで「私たちは今ここで演奏できることが幸せです感」を満載にして演奏する団体には辟易している。谷川俊太郎の「はだか」を笑顔で歌われても困るさ。)


とは言え、仕事であるのならば、聴衆は何?「お客様」ですよね?聴きに来てくださったことへの感謝の気持ちはないですんか?

潤沢な資金を持ち、補助金も約束されているからなのか、他のオケとの温度差が大きいと感じだ。もちろん、大仰に感謝したり、卑屈になったりする必要はない。

でもね、今はまだ演奏再開で手いっぱいで聴衆のことを考える余裕などないのであれば、自由に使えるメディアが後ろについているんだから、放送オケとしての活動を続けていく道もあるんじゃないの?

指揮者、MC、そしてソリストとの乖離も感じたしな。

日本を代表するこのオケは存続できる安心感の向こうに岐路があるかも知れない。