かまくら シンフォニエッタ 秋のアフタヌーンコンサート(10/25)
指揮:阿部真也
歌劇「劇場支配人」序曲(モーツァルト)
交響曲 第33番「プラハ」(モーツァルト)
交響曲 第104番「ロンドン」(ハイドン)
かまくらシンフォニエッタ とはリンク先に紹介のある小編成のアマオケである。パソ通で知り合った友人が(もう25年もの付き合いになる…もはやパソ通なんて死語だ)このオケでホルンを吹いている。
アマオケの演奏会は土日祝日がほとんどで、私は仕事があるのでまず聴きには行けない。しかし、このオケは「平日昼間に練習するオケ」であるからして平日に演奏会をすることが可能。それでも演奏会は土曜日マチネなんだけど、今年は会場が取れなかったとかで、私の行ける金曜日開催でお出かけ~。
(余談であるが、私にも演奏したい願望はある。合唱は断続的に続けていたし、また練習すればサックスも吹ける。でもやらないのは、アマチュアの晴れ舞台は前出のようにすべからく土日祝日であり、有休を取るのは難しいし、演奏会に行くことと同じくらいに、主人との生活も大切にしているので、これ以上拘束日ー練習日のことだがーを作りたくないってこともある。ま、そんなことを言っている限りは演奏する側に復帰はできないだろうけどね。)
アマオケではあるが、そういう教育を受けた人達もいて、決してレベルは低くない。私の偏見かも知れないけれど、アマチュア団体は「全員に見せ場が必要」であって、だから編成の大きな曲に偏るのではないだろうか。となれば、ハイドンやモーツァルトには編成されない管楽器があるし、弦だってチェロなんか「ズンズンズン」である・・・つまらないと思ったりするかも。
(プロオケの人にそんな失礼なことを伺ったことはないけれど、「ハイドンは省エネor安上がり」とか「ドヴォルザークの低弦は美味しい」とか、そーゆーことはしばしば口にされますです、はい。)
しかしてあえてこのようなオケを続けるということは、演奏することが自己満足ではなく、曲を理解し、聴衆を意識し、日々練習していることの証でないかと思うのだ。
私は100%感性で聴く女であり、技術がどうのこうのとは言わない・・・そりゃ回数こなしていますので、プロにあるまじき演奏には文句言いますけど、例えそうであってもその人の「音楽」がわかればそれを理解しようとはします。ですので、このオケは心地よく聴きたいと思ったのですが。
この日は土砂降りに近い雨。駅からホールまでの間にかなり濡れた私は、傘立てがあったので傘はそこに置き、ホワイエにロッカーがあったので、コートや濡れたものを入れた・・・ホールに湿気を持ち込まないために。
だがしかしっ!
ほとんどの聴衆は濡れた傘やコートをそのままホール内に持ち込んだ。じと~っとした湿気がホール内に蔓延して、前半のモーツァルトはピッチがずれてきて気の毒だった。アマオケの聴衆なら自分たちも演奏するだろうに、なせにわからないのだろうか。腹立たしいことこの上もない。
湿気による演奏妨害はプロオケでもしばしばあるが、大きなホールであれば傘立てを用意して欲しい。もちろんそれを無視してホールに持ち込む不届き者も多数いるわけだが、収容人数の数だけ傘立てを用意して、ビニール袋の配布をやめれば抑止できるのではなかろうか。傘立ても用意せず、座席に傘を立てかけていても注意もしない、そんな某国営放送ホールは大嫌いだし、もう何年も行ってないなぁ…。
何を書いているのかわからなくなってきたが、みなさまいい演奏をしてはおりましたよ。