徒然な日々・零式

クラシックの演奏会を中心にあれこれと書いていきます。

東京二期会「フィデリオ」vol.3(9/3)

演出に関して書く・・・これが迷った原因なんだけどね。

演奏会にしげしげと足を運ぶし、オペラ、ことにドイツオペラが好きな女ではあるが、版の違いだの、編成だのはどうでもよく(ってかよくわからん)、あくまでも己の感性で聴く。それで何となく「?」と思ったりしたことを終演後に図々しくも聞いたりしても、ニコニコと教えて下さったり、それでスイッチ入っちゃって語り始めたりとか、そんな感じだったのにね。

もうそんなこともできないかもね。

てなこともあり、また、開演前は仕事の後で疲れていることもあって、序曲が3番であったことも気づかずにいて、ふと舞台を見たら「ARBEIT MACHT FREI」と現れていた。ラジオ講座でドイツ語を勉強してるので、意味はわかる。でもこれは何を意味するわけ?・・・と思っていたらアウシュビッツのゲートにこの言葉が掲げられていたと説明が現れた。そしてその後もオペラの内容とは全く関係のないメッセージが映像やテクストで映し出されて行くのだった。

置換演出は鑑賞したことがあるし、嫌いではない。しかし、それは例えば衣装であるとか設定(現代風にされることが多いかね?)でなされるべきものであり、今ここで起こっていることと別のテクストが表示されるのは私には無理だった。

歌詞を聴き取れるほどの語学力はないにしても、字幕をちらっと見ればだいじょうぶなぐらいには予習していくし、キーセンテンスになりうる単語ぐらいはわかる。例えばワーグナーのリングであれば、ライトモチーフだけで何を歌っているのかわかるでしょ?

 

まだ歓喜にも至ってないのに、ベルリンの壁崩壊の映像を見せられてもですね、なんだかなぁ…。そしてめでたくフロレスタンが開放されるそのとき、なぜかステージ上は戦後75年記念式典の武道館になっているんである。もう訳わかんない。

まず演出ありきで上演されたんだろうか。演出家の意図はわかりますが、それをフィデリオカップリングされて困る・・・偽らざる感想です。

「今でこその演出」とのツィート散見されたけれど、だったらラスコーリニコフでやれば良かったじゃん。

某演出家のインタビューで「良い演出とは、観客を賢く、そして人間的に豊かにする演出のこと」ってのを読んだことあるんだけど、洪水のように押し寄せる演出でなく、いささか独特ではあっても、聴衆が自分の中で消化できるような演出であって欲しいと思った。